こんにちは、可愛いOL部のこでんです。
先日姉と二人で飲んでいて、こんな話題になりました。
私たち、小さい頃おばあちゃんにデブだのブスだの言われたよね、って。
祖母はどちらかというとマイナスな部分を誇張するタイプでした。
例えば、同じ仕事に対して母は「大変だけど、楽しいよ。」って言うけれど、祖母は「楽しいけど、大変だよ。」って言います。
そんな祖母にはなかなか認めてもらえませんでした。
太ればデブだと非難され、痩せれば食べろと言われました。
明るい服を着れば派手だと言われ、シンプルな服を着れば地味だと言われ・・・。
もう、なにをしてもダメなんだと、祖母の前ではふさぎ込んでいました。
今でこそ冷静に言えますが、祖母には“ちょうどいい”というものがなく、結局何かしらぐちぐちツッコむことが楽しいので、頑張っても、頑張らなくても、得られる結果は同じなんですね。
肯定マンな母親に育まれた自信が、小さいながらにぱりん、って割れてしまう感覚でした。
で、姉も私と同じように祖母の発言には違和感を持っていたようで、いつの日にか私たちは祖母から褒められるということを、諦めました。
自分なりに努力して、研究して、経験して、学習して、ただ生きて、たまに感謝して、とにかく私の中での“いい具合”を探しました。
何をしても褒められないのなら、もう諦めて私の好きなようにやらせてもらいますね、って。
するとね、気が付いたんです。
私は「デブス」なんかじゃないと。
褒められたいのは祖母にではなく、自分に対してだったんです。
人から褒められる自分って、自分が納得する自分であるとは限らないから、だったら、人から褒められることは諦めて自分が好きな自分になる。
黒が似合うといわれても、白が着たいと思えば着てみればいい。
誰かにとって私はデブスに見えても、それがすべての意見ではないんだよってことを、同じように悩む人がいればお伝えしたいのです。
悩むその手を、ぎゅってしてあげたいのです。
好きなようにやろうぜ。
今でこそ祖母は「いい子に育ったね」って褒めてくれます。
それはあのときデブスと言われたまま墜落せず、諦めたから、私らしくきれいになれたんです。
要は自己満足なんですけど、今の私ならもう何を言われてもきっと大丈夫。
おわり♥